- 玉木 恭介
-
1950年愛知県生まれ。知多半島の自然の中で育ち、東京農業大学で農業を目指すが、日比谷アメニス、太陽スポーツ施設で造園、グランド潅水事業の技術開発、営業に携わる。
8年前に子どもの縁で、地元江東区立毛利小学校PTA会長経験を期に子ども達への自然環境教育に目覚める。
現在夢の島公園、熱帯植物館の管理運営に携わる。実学主義に基づき公園内に4000平米の畑を作り、ソバ、小麦、自然薯、ナタネを栽培し都民協働の力を借りて実践中。
かつてゴミ処理場として利用されていた東京湾の埋め立て地に作られた“夢の島公園”。約30年の年月を経て、緑豊かな公園へと生まれ変わり、名実ともに“夢の島”として都会のオアシスとなっているこの公園に、園内の熱帯植物館館長であり、公園の管理も手掛ける玉木恭介さんを訪ねました。
玉木さんは樹木医・環境再生医としても活躍する自然の保護・再生のスペシャリスト。夢の島公園のお話をもとに、私たちができることや考えたいことをアドバイスいただきました。

運河と水路に囲まれた、東京都江東区の埋め立て地に広がる一大緑地公園“夢の島公園”。43haという都内有数の緑地面積を誇るこの緑の島は、ユーカリ、マテバシイ、を中心に、1万本以上の樹木が生育し、四季を通じてさまざまな野草が観察できる都会のオアシスです。
そんな夢の島ですが、成り立ちを聞けば誰もがきっと驚くことでしょう。
夢の島が生まれたのは1939年。当初は飛行場を建設する目的で埋め立てられましたが、戦争が始まり、工事は2年後に中止に。その後、1957年、東京都内で急増し始めたゴミの処分場としての利用が決定。以降、約10年間は、ゴミの埋め立て地として、皮肉にも“ゴミの島”と呼ばれる場所になっていました。
夢の島が生まれ変わったのは、1978年。樹木を植え、バーベキュー広場を設け、公園として造成し直したことがきっかけでした。
それから約30年。現在、この公園は、他には類を見ない素晴らしい変化を遂げたことで、注目されています。

約2年前から夢の島公園の管理に携わる、夢の島熱帯植物館館長であり、樹木医・環境再生医でもある玉木恭介さんはこう説明します。
「園内を歩いていただければすぐに気づいてもらえると思うんですが、この公園は土がフカフカなんです。去年、土を1mくらい掘って状態を見たら、赤土だった土が15cmくらいまで黒くなってきていました。僕らの言葉では有機化しているというんですが、これは自然に返ってきている証拠。人工の島で、しかもゴミの埋立て処分場として利用されていた場所だったのに、ここには自然が戻ってきているんです」

玉木さんは、“自然化”の成功の理由のひとつに、「人の影響が少なかった」ことを挙げます。「まわりに住宅がなかったことも良かったんだと思います。伐採した木や落ち葉をここではそのまま蓄積させていたので、土に返っているし、ひき蛙やへびなどの動物もたくさんいる。人間の影響を受けていないから、自然の復元がそれだけ早かったんですね。環境再生医をやっていながらこういう言い方をするのも変ですが、この公園を見ていると、自然の復元のためには放っておくのが一番いいのかなと思いますね(笑)。でも、本当に、30年前はゴミの埋め立て地だったわけですからね。その意味では、ある程度、人間の力で自然を守ったり、復元するのは可能だなとここに来て思うようになりました。自然っていうのはそんなに柔じゃないなと」









