- 相根 昭典
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一級建築士、1954年京都府生まれ。住宅での化学物質汚染に危機感をもち、東西医学・民間療法等を幅広く研究し、健康住宅を提唱。健康住宅の設計・監理業務に加え、無・低公害建材の 研究・開発、コンサルティングを行う。現在、循環型社会を目指した森林復興とエコ建築やエコヴィレッジの具現化に重点を置き活動している。
(株)アンビエックス 代表取締役
非営利中間法人 天然住宅 代表
(株)素材工房 代表取締役
「エコロジー」や「循環型社会」などの概念がまだ一般的に知られていなかった時代から健康住宅について探求し、普及に努めてきた相根昭典さん。以来20年、エコ住宅やエコマンションはもちろん、エコビレッジも手掛けるなど、常に第一線で人々の健康でエコな生活をサポートしています。相根さんの目指す今後の日本の住環境、そしてロハス的生活とは?オフィスにおじゃましてお話をうかがいました。

近年、化学物質による室内環境汚染など、住環境の問題がクローズアップされています。まだアスベストやシックハウス症候群などの言葉を聞くこともなかった20年前から“からだに優しい住環境”について探求してきた相根さんの考える健康住宅とはどのようなものなのでしょう。
「ひと言でいえば、化学物質を使わないで、電磁波を遠ざけた住宅です」
相根さんが話すこのポイントをおさえるだけで、体調が改善されたというケースを、相根さんはこれまでいくつも手掛けてきたと言います。
「頭がくらくらする、しんどい、鼻血が出るなど、シックハウス症候群の人が症状が表れなくなったり、住み始めた初日からぜんそくの症状が軽くなったり、3カ月くらいでアトピーの肌がキレイに改善したり、これまで私が手掛けた住宅に住むことで健康を取り戻したという例が当たり前のようにありました。それほど部屋の空気は重要なんですよ」
考えてみればそれは当然のこと。体内に摂取する物質を重量比で比較すると、80%が呼吸によるもので、うち60%は室内の空気を吸引しているという統計があります。食料飲料は両方合わせてもわずかに15%程度。その数字差をみれば、健康のためにはどれだけ室内の空気に注意を払うことが重要かわかります。
「健康住宅の見学会を行うと、玄関に一歩入った瞬間に『空気がおいしい!』と言うお客様が多いんです。99.9%自然素材を使っていますから、森林浴のような心地よさがあるんですね」
化学物質を含んだ建材や接着剤、塗料、防腐剤などを多用した住宅は、有害物質が空気中に放散されています。一方、防腐防虫処理をしていない無垢材だけを使用し、クロスや石膏ボード類、また施工においても自然素材のみで作った家は、空気が汚染されておらず、天然の木によるマイナスイオンが空気中に溢れています。
自宅は家族とくつろぐ憩いの場所でもあり、からだを休める安息の場でもあります。部屋の空気が森の中にいるように新鮮であれば、リラックスしてゆっくりくつろげ、深い睡眠がとれることは容易に想像できます。家で過ごす時間が明日への活力につながる--まさに心身ともにリフレッシュできるのが「健康住宅」というわけです。
相根さんが「健康住宅」に着目したのは学生時代、産業廃棄物の汚泥処理のアルバイトをしたことがきっかけでした。その体験をもとに、「循環型社会」の重要性を考えるようになり、建築に興味をもつようになったといいます。
ところが、時代は高度成長期。合理性や利益が第一に追求され、使い捨てが賞賛されていました。相根さんは師匠となる先生もいず、「シックハウス」という言葉すら誰も知らないような状況のなか、健康空間をプロデュースする株式会社アンビエックスを19年前に設立し、ひとり、細々とデータを集めたそうです。そして、建材から出る化学物資が体調を悪化させる原因になっていることを実感し、自然素材を使いはじめました。
活動がビジネスとして軌道に乗り始めたのは約10年前。以後、自然素材の使用だけでなく、電磁波対策を施し、断熱や蓄熱、CO2削減も考慮したエコ住宅やエコマンションをつくり、普及に努めてきました。

さらに日本で最初のエコビレッジの建設にも力を注ぎました。エコビレッジとは、入居希望者が共同で住宅を購入するコーポラティブ方式に、田舎暮らしの要素がミックスされた一種のコミュニティー。健康に配慮した建物に住み、風車や太陽光発電などでエネルギーを自給。また共同農園やビオトーブなどもあり、入居者同士、長屋的な交流のなかで、生活しています。
そして現在、相根さんはさらに大きなプロジェクトを進めています。というのも、相根さんが最終的に目指しているのは健康住宅を通して実現する「日本の山の再生」だからです。
「化学物質を使った住宅がもたらす悪影響や、電磁波の害など、健康住宅の意義が広く知られるようになっても、住んでくれる人たちが増えなければ、山は再生できません。ですからもっと大きなマーケットをつくらなければと考えたんです」










