GREENER COMPANY - Vol.7 MERRY PROJECT 笑顔とメッセージに込められた一人ひとりのメリーな想いと、地球を大切に思う気持ちは、国境を越えてつながっていくと思います。

水谷 孝次

1951年名古屋市生。1977年日本デザインセンター入社、1983年水谷事務所設立。
ニューヨークアートディレクターズクラブ(N.Y.ADC)日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)、東京タイポディレクターズクラブ(TDC)所属。
1980年東京ADC賞を皮きりに、JAGDA新人賞、N.Y.ADC国際展・金賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展金賞・特別賞、ブルーノ国際グラフィックデザインビエンナーレ銅賞・特別賞、コロラド国際ポスター招待展最高賞、など国内外のグラフィックデザイン界において数々の賞を受賞。

「笑顔は世界共通のコミュニケーション」を合言葉に、9年間で、世界24ヶ国30,000人以上の人々の笑顔を集めているMERRY PROJECTの水谷さん。カメラを両手に世界各国を飛び回り、六本木の事務所では屋上農園を運営。メリーな笑顔がとにかく大好きな代表の水谷孝次さんにお話をお伺いしました。

地球いっぱい、笑顔で埋めたい

Merry(メリー)とは、「楽しいこと」「幸せなこと」「将来の夢」などといった意味。メリークリスマスの「メリー」です。「あなたにとってメリーとはなんですか?」という問いを世界中の人々に投げかけ、その笑顔とメッセージを集める活動が“メリープロジェクト”。「笑顔とメッセージに込められた一人ひとりのメリーな想いと、地球を大切に思う気持ちは、国境を越えてつながっていくと思います」というのはプロジェクト代表の水谷孝次さん。アートディレクターとして、主に広告の分野で活躍。国際的にも多数の賞を受賞した方で、1999年から“メリープロジェクト”に取り組んでいます。
その水谷さんが、いま取りかかっているのが“メリーガーデン”プロジェクト。東京・六本木にあるメリー・スタジオの屋上に農園を作ることに始まり、世界中に緑を広げていこうと、壮大な構想を描いています。メリーガーデンという言葉には「色とりどりの花が咲く庭のように、たくさんのメリーな笑顔があふれる地球であってほしいという願いを込めた」といいます。
「きっかけは、ニューヨークのパーティに出席した人からもらったおみやげ。
ニューヨークのセレブたちが開くパーティというのは、かつてはクラブで音楽がガンガンかかって…というスタイルが多かったんですけど、いまは主流が“エコ”なんですね。“参加費の一部を環境のために使います”というのがコンセプトになっている。もともとニューヨーカーには、アートのためにおカネを使って、自分たちが現代美術を育てたんだという自負があるんですが、それと同様に、いまは“エコは自分たちが育てる、自分たちが世界に発信する”という気概があるわけです。
それで、そのおみやげというのが真っ赤な箱で、それを開けるとグラスと、レンガのような茶色い土と、水仙の球根が入っていたんです。それをクリスマスにもらって育て始めたら、真冬で雪が降るさなかに芽が出て、花がぱっと咲いた。それを毎日、観察して写真に撮るのがたいへん楽しくて、笑顔になれたんです。

屋上庭園
屋上庭園

そこで、そのころ事務所の引っ越しを迫られていたんですが、新しい事務所を探すのに“屋上がある物件”という条件をつけたんです。屋上全部で緑を育てたら、さらに笑顔になれるだろうということで。
さらに同時期、郡上市(岐阜県)の方から“郡上でメリープロジェクトのイベントをやっていただけませんか”という話が来た。当初は、“メリープロジェクトは特定の組織のためには行いません。大企業からも販売促進に結びつけた話が来ているけれど、全部お断りしていますから”と言っていたんです。そのかわり、森を作るなど環境を良くすることに結びついた活動ができるのであれば、ぜひ一緒にやりましょうと提案をしたんです。それに郡上市や郡上商工会の青年部の皆さんが乗ってくださった。それで、六本木と、郡上を結んだエコプロジェクトとして“メリーガーデン”の構想がまとまったんです」。

この時期、同時に進行していたのが北京五輪の開会式に、メリープロジェクトの写真を使うという計画。水谷さんは、開会式を演出したチャン・イーモウ監督が子どもの笑顔を使うプランを考えていることを知り、五輪組織委員会にコンタクトを取りました。その後、法律問題などの高いハードルをクリアし、水谷さんが撮った1100人余りの子どもたちの笑顔とアイディアが、開会式のクライマックスを彩ることになりました。
こうして“メリーガーデン”は、六本木、郡上、そして北京をつなぐプロジェクトに。郡上では、ひるがの高原に“メリーの森”が誕生。広大な土地に子どもたちの手で野菜や草花の種や苗木が植えられました。そして、北京五輪開会式当日からの2週間、東京と郡上の両方でさまざまなイベントが行なわれました。